神楽の都の北東に位置する武家屋敷。その一角に、朝廷家豊臣派の遠戚にあたる三好家の邸宅が存在した。
正門から入る者は身分を問わず、三好家の名代にして、三好三英傑に数えられる「三好火織(みよし・かおり)」なる人物に面会するために訪れる。彼女は頭脳明晰であり、あらゆる争いを好まず、誰にでも分け隔てなく自らの考えを指し示すため、周囲から「豊臣派のご意見番」と評され、今日もまたいくつかの相談を持ち掛けられていた。
しかし、火織なる人物には謎が多い。
面会と言っても、その種類は様々だ。切実なる陳情であったり、他愛もない相談であったり……成人していれば誰とでも会うが、どんな事案であろうとも、誰もが「謁見の間」に通され、簾の向こうにいる火織に向かって話すのが決まりとなっている。
無理にご尊顔を拝もうなど言語道断。あっという間に、脇で控えている連中に制せられる。その任を担っているのが、夫の三好吉鷹(みよし・よしたか)。彼は朝廷家別派の出身だが、元服まもなく火織に見初められ、そのまま三好の家に入った。婿養子が故か、はたまた妻を守るためか。吉鷹はあえて火織の下座に陣取り、常に訪問客の言葉や仕草などに神経を尖らせている。
『わかりました。この件は、私から先方へお伺いを立てましょう。また頃合いを見て、屋敷にお越しください』
話をまとめた妻の言葉を聞き、吉鷹はここでようやく口を開く。彼から火織の話に割って入ることは滅多にない。
「お客人、本日のところはこの辺でお引き取りを」
ただ、二度も三度も来ていれば、ここでの作法もわかってくるというもの。客は深々とお辞儀しながら丁寧な礼を述べ、吉鷹に土産の饅頭をそそくさと手渡し、スッとその場からいなくなる。
『そのお饅頭は……?』
吉鷹は妻にバレないように懐へ包みを隠そうとしたが、どうやらバッチリと見られていたらしい。
「こしあんの饅頭は貞慶の好物なので、取っておいてやるのが親の度量かと思いまして……」
『今日の謁見は終わりですか?』
「以上でございます」
夫の言葉を聞くなり、鋼鉄の扉を思わせるあの簾がいとも簡単に開いた。そこから飛んで出てきたのは、まるで年端も行かぬ女の子のよう……そう、三好火織なる英傑、声こそ年相応であるが、見た目があまりにも若すぎるのだ。そのため、このような仕掛けを使って、「さも立派なお人であろう」という演出をしている。説得力が迷子になる程度の体躯、そして童顔。それが謎の正体なのだ。
「一仕事終えた後に、八井田屋の饅頭……これは堪らん! そこな者、茶を持って参れ!」
三好をよく知る召使いが炊事場へ歩を進めると、火織は夫にも饅頭を差し出して勧める。
「これは、私が貰ったんだがなぁ……」
「よくもそんな面倒なことを言う! これは三好のモノじゃ!」
自分が屁理屈を言うと、アイツはすぐにゴネる……そんないつもの火織を見て、静かに微笑む吉鷹であった。
しばし謁見の間で歓談していると、懇意にしている三河屋の店主・雷蔵(らいぞう)が顔を出した。
「おお、ご両人。ここにおられましたか。今日もお疲れ様でございます」
棘も嫌味もない穏やかな言葉と共に、流れるように畳に座り礼をする姿は、まさに商人の鑑である。
「雷蔵殿が直々に来るとは珍しい。何かあったのか?」
吉鷹は口に頬張ろうとした饅頭を盆に置き、今日の用向きを尋ねる。
「いえいえ、ただの御用伺いですよ。ライカが貞慶様と外に出ているので……」
「ライカちゃんは何かにつけて、貞ちゃんのことを気にするわねぇ」
「いやはや、うちのライカが無礼をしていないかと、ふと不安になることもございますれば」
雷蔵はその話に差し掛かると、意外にもソワソワし始めた。
「一人娘のことになると、やはり不安か?」
吉鷹がそう冷やしながら笑うが、雷蔵は「手前は本気でございますよ」とますます困り顔で返す。
「あの子は大丈夫よ。貞ちゃんも大丈夫。安心なさい」
「ありがたきお言葉でございます。今後も火織様のご心痛にならぬよう、しっかりと……」
「ご心痛……ねぇ。だったら、私はトモちゃんのアレの方が……」
それを聞いた吉鷹と雷蔵は顔を見合わせ、同時にうなだれたかと思うと、そのまま手で目を覆う。
「灯火耶様は、まぁ、その、相変わらずのようでございますな……」
吉鷹は『でも、あの珍妙な服の発注はちゃっかり受けて、ガッツリ金は稼ぐんだよなぁ』と、自分のことを棚に上げて困った顔する三河屋を恨めしく思いながらも、何とか言葉を絞り出す。
「さ、さすがに、男から灯火耶のコトを言うのは憚られる。だから、ここは火織からしっかりと、その……」
歯切れの悪い男衆に続いて、母親さえも顔を曇らせる。
「私もね、勇気を出して……トモちゃんを部屋に呼んでね。もうちょっと、コレはこうしたらいいんじゃないかなーって、いろんな角度からアドバイスしてみたの。そしたらね……」
結論のわかっている話を、誰が聞きたがろうか。二人は不意に眉をひそめる。
「まっすぐな瞳で『母上のような風貌の方がそんなこと言うのはズルい!』って、完全にヘソ曲げちゃって」
「これは、ますます拗らせましたな……」
雷蔵の言葉を聞いて全てを察した父親は、悟りの表情で「仕方ない」と呟いてしまった。
「ヨシくんッ! ママの威厳が保ててないのに、何が仕方ないのよッ!」
「グギギ……そっ、それは、お、お、俺のせいかよッ!」
華奢な体を駆使した必殺のスリーパーホールドで夫の首を絞める火織だが、実は肝心の吉鷹にはあんまり効いていない。雷蔵からすれば見慣れた光景なので、とりあえず高い天井をボーッと見上げながら進言する。
「あの……手前から見ましても、元服直後にご成婚されたお二人が何を言おうと、いささか説得力に欠けるかと……」
そりゃそうなんだけど……三好夫婦の顔が険しくなったのを見計らって、雷蔵はとっておきの煙幕を使って逃げ切りを試みる。
「それでは、手前はこの辺で。ああ、吉鷹様。例の野武士のようなお召し物は、いつお持ちしましょうか?」
「あーっ! ら、ら、雷蔵ッ! なんでお前、今になって言」
「ヨシくーん……? まさか、また私に黙って、自分だけ遊びに……?」
「遊びじゃないって! おい雷蔵、お前! おい、逃げんな!」
雷蔵はすでにうやうやしく立礼をし、そそくさと謁見の間を出てしまっていた。これが商売の極意なのだろうか。
どうやらこの夫婦喧嘩、さらには家族の揉め事は、犬も食わないであろう。
あえて教訓じみたことを言うならば、謎は謎のままにしておくことも、この天儀には必要なのかもしれない。合掌。

